621. My Father"

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今年の夏、100歳を迎える私の父。明治生まれの頑固者。戦争を生き抜いて来た人でもある。
海軍。(空母艦の軍隊長。) 同時に空も経験したと言うし、平成の今でも健在。私の58歳年上。

普通なら祖父にあたる歳なのだが、父だから仕方無い。自分が子供の頃 気にした事もある・・。

授業参観日” 周りの親の歳と比べるナンセンス。分かっているものの、若い親が羨ましかった。
良く冷やかされては、喧嘩。多かった。悔しかった訳だ。一番の人を馬鹿にされる事が何よりも。
「お前のトーちゃんジージイ!」「テメー、もいっぺん言ってみろぉ コノヤロー!」その繰り返し。

小3頃から続いたそういう風潮は、やがてピークの6年生を迎えた。悪知恵、悪ガキ盛りの小6。

朝から憂鬱なその日がやってくる。あっという間に参観の時になる。当然前より、皆後ろに集中。
もう誰かが気付いて、クスクス笑い始める。今日は誰から行こうか!頭に血が昇り始める訳だ。

「今日は折角だから、お父さんお母さん達にお話をして頂きましょう。何でも結構ですから、さ。」
話をそう振り出した、女担任の平川先生。流石に親達も準備をしてない様子で動揺を隠せない。
これには冷やかし組みのガキ共も、真剣な顔。笑うか笑われるかの 瀬戸際になるからだろう。

無難に順番を通り過すような人の会話が続き、そして自分の父ちゃんの番になった。固まる私。

「ワタシが若松の親父であります。こんな爺さんですが、一応父親をやって居ります。」
「それでは、私が貴方達のような子供の頃 経験した話をしましょうかね・・・。」


話は、子供の頃 真冬になると決って早く起こされる。暗い早朝の竹林に裸足で連れて行かされ
目の前全ての竹に付いた霜を手で擦れ!と言うもの。どの位の量なのかは想像を絶する程に。
数本で手は悴み、節で切る痛みで。それはもう。この人はそんなに自分が憎いのだろうか!と。
だから、冬は一番嫌いだったと言う。毎朝毎朝、季節が変わり、霜が降らぬ日までそれは 続く。


そう言う子供時代を過ぎ、何時しか空に向かう時が来る。(訓練の為、飛行機に乗り込み)


上空に行けば行くほど、酸素は薄く。気温も下がってくる。昔の飛行機の機体は外気の影響大。

悴んだ手は、やがて感覚を鈍らせる。平地では出来る事も、上空では全く通用しなかった現実。
編隊を組んだ仲間のパイロットがいなくなる。次々と落下して行くが只、飛ぶしかなかったそうだ。

「その時に、はっと気付いたんですよ私。 あの毎朝毎朝の地獄が、何故必要だったのかをね。」

そうやって父は、厚い手の平を皆に見せてくれた。硬く大きい手の平。寒さと痛みに耐えた皮膚。

「きっと、こう言う時が来るのを知ってたんでしょう。それは、後で必ず必要になるとね。」

「親の小言と茄子の花は、千に一つも無駄が無い。そういうことわざがあるのを知っていますか」


その話の後、次誰の親の番なのか皆忘れたように いっせいに皆が拍手をしてくれた。ずっと。
その日以来、歳をとった親の存在を私も含め、皆考え直した。そして参観日の意味が変わった。


今まで知らなかった、初めて聞く 父の子供の頃の話だった。もう、30年経ったんですね。
あれから、貴方の子供で居る事が どんなに嬉しかったか。誇らしかったか分かりません。
ありがとうございます。貴方を恥ずかしがった自分が、まこと一番 恥ずかしく思います・・。


馬鹿みたいに真直ぐ生きる。そういうのが自然な家庭には、このとうちゃんの影響が大”な訳だ。
by samsonblue | 2007-04-25 03:10 | コラム


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