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622. The Expectation!

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カッコ良いのを頼む!口を揃えて依頼者が決って言う。心配するなら頼まなければいいだろう?
そう言うオーダーの仕事に、今だに外したもの無しだ!クールに決めるのが、信条のサムソン。

何故そのラインなのか?この色なのか?プライスなのかは、後で分かるし分からなくとも、だ。
時間が過ぎても、飽きないような。傷になっても様になるような、結末まで配慮した気”を込める。

一人で眺めても気付かぬ事、スピードの中で初めて生きるデザイン。相手に魅せつけて飛ばせ!

自分が考え付かないSENSE。それをマル投げしたからには、最後までマルゴシの姿勢を貫け!
by samsonblue | 2007-04-29 02:54 | ヘルメット

621. My Father"

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今年の夏、100歳を迎える私の父。明治生まれの頑固者。戦争を生き抜いて来た人でもある。
海軍。(空母艦の軍隊長。) 同時に空も経験したと言うし、平成の今でも健在。私の58歳年上。

普通なら祖父にあたる歳なのだが、父だから仕方無い。自分が子供の頃 気にした事もある・・。

授業参観日” 周りの親の歳と比べるナンセンス。分かっているものの、若い親が羨ましかった。
良く冷やかされては、喧嘩。多かった。悔しかった訳だ。一番の人を馬鹿にされる事が何よりも。
「お前のトーちゃんジージイ!」「テメー、もいっぺん言ってみろぉ コノヤロー!」その繰り返し。

小3頃から続いたそういう風潮は、やがてピークの6年生を迎えた。悪知恵、悪ガキ盛りの小6。

朝から憂鬱なその日がやってくる。あっという間に参観の時になる。当然前より、皆後ろに集中。
もう誰かが気付いて、クスクス笑い始める。今日は誰から行こうか!頭に血が昇り始める訳だ。

「今日は折角だから、お父さんお母さん達にお話をして頂きましょう。何でも結構ですから、さ。」
話をそう振り出した、女担任の平川先生。流石に親達も準備をしてない様子で動揺を隠せない。
これには冷やかし組みのガキ共も、真剣な顔。笑うか笑われるかの 瀬戸際になるからだろう。

無難に順番を通り過すような人の会話が続き、そして自分の父ちゃんの番になった。固まる私。

「ワタシが若松の親父であります。こんな爺さんですが、一応父親をやって居ります。」
「それでは、私が貴方達のような子供の頃 経験した話をしましょうかね・・・。」


話は、子供の頃 真冬になると決って早く起こされる。暗い早朝の竹林に裸足で連れて行かされ
目の前全ての竹に付いた霜を手で擦れ!と言うもの。どの位の量なのかは想像を絶する程に。
数本で手は悴み、節で切る痛みで。それはもう。この人はそんなに自分が憎いのだろうか!と。
だから、冬は一番嫌いだったと言う。毎朝毎朝、季節が変わり、霜が降らぬ日までそれは 続く。


そう言う子供時代を過ぎ、何時しか空に向かう時が来る。(訓練の為、飛行機に乗り込み)


上空に行けば行くほど、酸素は薄く。気温も下がってくる。昔の飛行機の機体は外気の影響大。

悴んだ手は、やがて感覚を鈍らせる。平地では出来る事も、上空では全く通用しなかった現実。
編隊を組んだ仲間のパイロットがいなくなる。次々と落下して行くが只、飛ぶしかなかったそうだ。

「その時に、はっと気付いたんですよ私。 あの毎朝毎朝の地獄が、何故必要だったのかをね。」

そうやって父は、厚い手の平を皆に見せてくれた。硬く大きい手の平。寒さと痛みに耐えた皮膚。

「きっと、こう言う時が来るのを知ってたんでしょう。それは、後で必ず必要になるとね。」

「親の小言と茄子の花は、千に一つも無駄が無い。そういうことわざがあるのを知っていますか」


その話の後、次誰の親の番なのか皆忘れたように いっせいに皆が拍手をしてくれた。ずっと。
その日以来、歳をとった親の存在を私も含め、皆考え直した。そして参観日の意味が変わった。


今まで知らなかった、初めて聞く 父の子供の頃の話だった。もう、30年経ったんですね。
あれから、貴方の子供で居る事が どんなに嬉しかったか。誇らしかったか分かりません。
ありがとうございます。貴方を恥ずかしがった自分が、まこと一番 恥ずかしく思います・・。


馬鹿みたいに真直ぐ生きる。そういうのが自然な家庭には、このとうちゃんの影響が大”な訳だ。
by samsonblue | 2007-04-25 03:10 | コラム

620.  Inevitability”

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美意識やSENSE。 人其々に違いこそあれ、共通する何かも 合わせ持つ。 誠 厄介 なもの。
音楽や料理、服に建築。美容に絵画、写真などは、特に その良い例に当てはまるのでは?と。


深夜、良く行く中華屋の親父がこんな話をしてくれた。 「最初はさ、チャーハンなんだよ 皆。」
何の話かと聞くと、中華の基本がチャーハンなのだと言う。そこからが修行のスタートなのだと。
明けても暮れても、毎日毎日。もう、見るのが嫌を通り超えても、作る。腕もパンパン胃も満杯。

何気ない会話だと、気を抜いた時。その話はこう切り返した。

「もう、目を瞑っても出来るようになった頃にね。嬉しさより恐さが出て来た訳。何でだと思う?」
「教えてくれた事全部覚えて行くうちにさ、型に嵌っちゃった訳だ。今の先代のね。」
「教わるのは容易いけど、そこから出られない。恐くて冒険なんぞ出来やしないって事が さ」

それでもその親父は今でもアレンジを加え、自分の味になる努力をしてるのだと 付け加えた。

型破り” には保証がない。吉凶どちらに出るか分からないが、先代と違うやり方だけは確か。
自分で道を開く苦労は、何時でも付きまとうし、風当たりも並ではない。味方に頼る訳にもだ。


タイムや得点表示されない世界で生きている人(職)は実に多い。判定は白か黒のどちらかの。
美味か不味いか。綺麗か汚いか。格好良いか悪いかの結果論。その二極のエリアは近く遠い。


「最初に苦労するか、後にするかの違いだと思うけど。型にならない内が分かれ道だったね」

店の親父はそう話ながら、自分に生ビール一杯を奢ってくれた。実に考え深いツマミと一緒に。


そんな話を誰かに今日、話たくなった。 良い事も悪い事も、必要だったのではないか?と。
判定を自分でキメル。そういう瞬間の場数が増えると、本当の自分の味(プロ)になって行く。

一番の味方は誰でもない自分だと言う事と、理屈の通じない一瞬の勝負は、先代もライバルだ。
by samsonblue | 2007-04-22 00:34 | コラム